僕がそれを理解するまでに、開業から約10ヶ月かかった。ロッカールームで10年間生きてきた治療家が、「お金をもらうこと」を「卑しいこと」だと思い込んでいた話。
Jリーグのロッカールームで身についた「誤解」
10年間、Jリーグのトレーナーとして働いてきた。ロッカールームで選手の体を診て、試合に送り出す。それが僕の仕事だった。
そのキャリアを通じて、僕の中に一つの「当たり前」が刷り込まれていた。
選手は、言わなくても自分から来る。クラブが費用を負担するから、個人のお財布の話はない。お金と治療は、最初から切り離されている。
これが、治療家として「普通」だと思っていた。
患者さんから直接お金をいただくこと。その事実に、僕はどこか「卑しいもの」を感じていた。それが、僕の事業が傾いた本当の原因だった。
開業して感じた、奇妙な違和感
開業して数ヶ月が経つ頃、僕の中に奇妙な感覚が積み重なっていた。
患者さんは「楽になった」と笑顔で帰ってくれる。技術への自信は日に日に育っていく。なのに、その日の終わりにパソコンへ打ち込む売上の数字が、手応えとはまるで釣り合わない。
なぜか。簡単なことだ。一度来た患者さんに「また来てください」と言えていなかった。言えないというより、言ってはいけないような気がしていた。
「来てください」と言うことで、患者さんのお金を奪っているような感覚。Jリーグ時代にはなかったその感覚が、知らないうちに僕の口を塞いでいた。
夏に急ブレーキがかかり、8月・9月・10月と売上は下がり続けた。通帳の残高が100万円を切った秋の日、僕は震える手で父に電話した。
11月16日、兄のたった一言
父に「支出を止めろ」と教わり、なんとか出血は止めた。でも売上の根本は変わっていない。そんな状況の中、突然、兄から連絡が来た。
「海が見たいから、今から館山に行くわ」
父から話を聞いているのかもしれない。でも兄は特に何も聞かず、普通に海を楽しみ、夕飯の席でようやく経営の話になった。
僕は、うまくいかない原因を全部外のせいにして言い訳を並べた。「経験が少ないから」「田舎だから」「患者さんがすぐ良くなるから」「不況だから」。
一通り聞き終えた後、兄はまっすぐ僕の目を見て、静かに言った。
「お前さ、患者さんに『通ってください』って言ってる?」
たった一言。でも僕は、何も言い返せなかった。
図星だった。
そして兄は続けた。「治療家は患者さんを治すのが仕事だろ。本当に治すためには、継続した治療が必要なんだ。だから患者さんは、通った方が良くなるに決まってる」と。
「明日から、来た患者さん全員に『通ってください』と言いなさい」
それだけ言って、兄は嵐のように帰っていった。
翌朝、最初の患者さんに言えた瞬間
翌日の月曜日、治療院のドアを開けるのが少し怖かった。本当に言えるだろうか。言って、嫌な顔をされたら。
最初の患者さんの施術が終わった。お見送りの時間が来た。
僕は、心臓が飛び出しそうになりながら、恐る恐るこう言った。
え?
喜んでいる?
頭をガツンと殴られたような衝撃だった。僕が「卑しいことだ」と思い込んでいた提案は、患者さんにとっては「プロからの、責任ある提案」として、すんなりと受け入れられるものだったのだ。
その日から、来た患者さん全員に、自信を持って伝え続けた。
10月の3倍。売上が示したこと
その効果は、劇的だった。
たった一言を変えただけ。技術も、時間も、何も増やしていない。
「言い方」ではなく「思い込み」を変えただけだった。
11月、4ヶ月ぶりに売上が前月を上回った。12月には、ドン底だった10月の3倍近い数字を記録し、経営危機を脱した。
この数字が証明したのは、「売上を上げること」と「患者さんを治すこと」が、まったく同じ方向を向いているという事実だった。
患者さんが通い続けることは、患者さんが良くなることと同義だ。そして、それが売上になる。この三つは、対立しない。最初から、同じゴールを向いている。
「正直な提案」は、患者さんを守ることでもある
「通ってください」という言葉は、経営のための言葉じゃない。
本当に改善させたいなら継続が必要だ、という治療家としての判断を、正直に伝えることだ。
それを言わずにいることの方が、実は患者さんにとって不親切だと、今は思う。「先生は何も言わなかったけど、通った方が良かったのかな」という気持ちを、患者さんに残してしまう。
開業10ヶ月、僕は「卑しい」という思い込みで、患者さんを良くするチャンスを自分から手放していた。
一つの「誤解」を外しただけで、売上は回復した。でも本当の意味で良かったのは、患者さんに正直に向き合えるようになったことだ、と今は思う。
あなたが「言いにくい」と感じている提案は、患者さんにとっては「待っていた言葉」かもしれない。

